東京地方裁判所 平成9年(ワ)25609号 判決 1998年7月13日
原告
北林章
被告
栄光商事株式会社
右代表者代表取締役
筒井常男
右訴訟代理人弁護士
堀合辰夫
同
中嶋公雄
同
岡本理香
主文
一 被告は、原告に対し、金六六六九円及びこれに対する平成九年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
四 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し金九二万七五四九円及びこれに対する平成九年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、被告に雇われていた原告が未払賃金などの支払を求めた事案である。
二 前提となる事実
1 原告は平成九年一〇月七日そば店の店員として被告に雇用され、同月八日から同月一七日までJR阿佐ヶ谷駅構内にある被告の経営に係る立ち食いそば店(以下「本件そば店」という)で稼働した(争いがない)。
2 原告の同月八日から同月一七日まで(ただし、休日一日を除く)の九日間の勤務に対する賃金は、原告の一か月当たりの賃金を金二〇万円としてこれを平成九年一〇月の就労可能日数二七日(三一日から日曜日の日数四日を差し引いた残日数)で除した金七四〇七円(一円未満切捨て)に原告の稼働期間九日を乗じて得られた金六万六六六三円であり、原告は被告から賃金として金五万九九九四円の支払を受けているから、未払賃金は金六六六九円である(争いがない)。
3 被告の従業員に対する賃金の支払日は毎月五日であり、原告の同月八日から同月一七日まで(ただし、休日一日を除く)の九日間の勤務に対する賃金の支払日は同年一一月五日であった(証人柴田、被告代表者)。
三 争点
1 原告は平成九年一〇月一七日に休業を命じられたのか、それとも、解雇されたのか。
(一) 原告の主張
原告は本件そば店の店長柴田秀夫(以下「柴田」という)から平成九年一〇月一七日被告の都合で一〇日間くらい休んでくれと申し渡されたので、同月一八日から同月二八日まで休業し、同月二九日に本件ソバ店に出勤したところ、柴田から原告を解雇すると申し渡された。柴田から休業を申し渡された後に解雇を申し渡されたことによって被告は次の各金員について支払義務を負っている。
(1) 休業手当金四万四四四〇円
同月一八日から同月二八日までのうち休日一日を除いた一〇日間の休業手当であり、原告の右同月の一日当たりの賃金七四〇七円の一〇〇分の六〇である金四四四四円(一円未満切捨て)に休業期間一〇日を乗じた金額である。
(2) 解雇予告手当金二〇万円
被告が同月二九日原告を解雇したことに伴う解雇予告手当である。原告は試用期間中の者であったが、右の解雇の時点において一四日間を超えて雇用されており、被告は労働基準法二一条ただし書により解雇予告手当を支払う義務を負う。
(3) 付加金二四万四四四〇円
右(1)及び(2)に対する付加金である。
(二) 被告の主張
原告は採用の面接の際にそば店で働いた経験があると言ったにもかかわらず、本件そば店で働かせてみたところ、そばを全くゆがけず、短時間に釣り銭を計算して客に釣り銭を渡すことができず、機械でネギを切らせても時間がかかりすぎ、洗い物を頼んでも洗い物がたまっていく一方であるなど、そば店の店員として必要な作業を短時間に円滑に行うことができなかったので、柴田は原告が雇われてから一〇日目の同月一七日原告を解雇したのであり(以下「本件解雇」という)、同月一八日から同月二九日まで休業を命ずるはずがない。また、原告は試用期間中に解雇されたのであるから、労働基準法二一条本文四号により被告が解雇予告手当の支払義務を負うことはない。このように被告は休業手当及び解雇予告手当の支払義務を負うことはないのであるから、付加金の支払義務も負うはずがない。
2 慰謝料の支払義務の有無について
(一) 原告の主張
原告は平成九年一〇月一八日付けの書面で被告に対し原告が稼働した期間に対する賃金の額、一〇日間の休業期間に対する休業手当の額、休業期間満了後の原告の身分などについて照会したが、被告からは何の回答もなく、原告は同年一一月一日付けの内容証明郵便で被告に対し賃金、休業手当及び解雇手当等の支払を求めたが、被告からは何の回答もなかった。原告は賃金の支払日である同月五日並びにその翌日の六日及びその翌々日の七日に被告代表者と面談したが、被告代表者は支払を拒否したので、原告は同月一〇日に新宿労働基準監督署を訪ねて窮状を訴え、同月一二日被告代表者が同署に出頭して事情聴取を受けた。原告は同月一四日被告に対し一〇月分の賃金の支払を求めたが、被告はこれを拒否し、同月一九日にようやく一〇月分の賃金として金五万九九九四円を支払ったが、その余の支払には応じない。このように原告は労働基準監督署や被告方に数回赴いたが、その間再就職をすることもできず、原告がようやく再就職したのは同年一二月中旬であり、この間原告は経済的精神的に不利益を被った。これに対する慰謝料は金四三万二〇〇〇円である。
(二) 被告の主張
被告に原告の主張に係る慰謝料の支払義務があることは争う。
第三当裁判所の判断
一 争点1(原告は平成九年一〇月一七日に休業を命じられたのか、それとも、解雇されたのか)について
1 証拠(略、被告代表者)によれば、次の事実が認められる。
(一) 被告は駅構内の立ち食いそば店を経営しているが、被告の経営に係るJR阿佐谷駅構内のそば店(本件そば店)の店員を補充する目的でそば店の店員を募集したところ、原告が応募してきた。被告代表者は平成九年一〇月七日原告の採用面接を行ったが、原告が提出した履歴書には平成四年一月から平成九年七月まで有限会社ダイタン企画で働いていたという記載があり、有限会社ダイタン企画とは被告と同じように立ち食いそば店を経営する会社であったので、被告代表者は原告には立ち食いそば店で働いた経験があると考えたが、原告に対しては原告が勤務するそば店の店長が原告はそば店の店員として満足のいく仕事ができると判断した場合に初あて原告を被告の従業員として採用するが、店長が原告を使ってみて仕事ができないと判断した場合には原告を採用しないと告げた(書証略、原告本人、被告代表者)。
(二) 原告は採用面接の翌日である同月八日午前六時から本件そば店に出勤した。本件そば店の店長である柴田はまず原告にそば振り(お湯に入れてあったざるを振って中に入っているそばをどんぶりに入れる作業)をさせてみたが、通常なら一、二分で終わる作業が三、四分もかかってしまった。次に裏の倉庫に行ってねぎを切るという作業をさせてみたが、一かご三〇本くらい入っているねぎを薄く輪切りにするのは通常なら三〇分で終わるのに原告が一かごのねぎを切り終わったのは午前一一時すぎであった。次に柴田は原告にどんぶりの後片付けをさせたが、どんぶりについた洗剤が十分落とし切れておらず、どんぶりの後かたづけも満足にできなかった。柴田は原告にどんぶりを温めるために手で持ったどんぶりを釜の中のお湯につけてどんぶりを温めるという作業もさせてみたが、やはり原告は満足にできなかった。また、柴田がトイレに行くときに原告に対し代りに店番をするように頼んでも、原告はそれはできないと言う始末であった。結局、原告に一日働いてもらって原告がそば店の店員としてできる作業は掃除しかないことがわかった(証人柴田、被告代表者)。
(三) 柴田はそば店で働いた経験がない者でも一〇日くらい働けばそば店の店員として使い物になることが多かったことから、しばらく様子を見ることにした。しかし、同月一六日まで原告を本件そば店で働かせてみたが、原告はそば店の店員として全く使い物にならなかった(証人柴田)。
(四) 原告は、同月一八日、原告が稼働した期間に対する給料の額、一〇日間の休業期間に対する休業手当の額、休業期間満了後の原告の身分などを明らかにするよう求めたお伺書と題する書面(書証略)を作成してこれを被告の郵便受けに投函した(書証略、原告本人、被告代表者)。
(五) 本件そば店はJR阿佐ヶ谷駅構内にあり、同駅駅長の管理業務とされているため、被告が本件そば店の店員として雇った者については、本件そば店の店長が一か月間の試用期間を経て勤務させることに支障がないと認め、同駅駅長の面接を受けた上で被告に正式に採用されることになっていた(被告代表者)。
2 以上の事実を前提に、原告が平成九年一〇月一七日に休業を命じられたのか、それとも、解雇されたのかについて検討する。
(一) 柴田は、その証人尋問において、同月一七日の朝に出勤した原告に対し同人を辞めさせる趣旨で「一〇日くらいしたら給料を取りに来い、そのときまたいろいろ俺も考えてやるから、とにかくちょっと無理だぞ」と言ったところ、原告はそのまま仕事もせずにすぐに帰ってしまったと証言している。
(二) 被告は本件そば店で働いてもらうために原告を雇い入れたにもかかわらず、原告を同月八日から同月一六日まで本件そば店で勤務させたところ、原告が本件そば店の店員として満足に働けないことが判明した(前記第三の一1(一)ないし(三))というのであるから、柴田が原告に対し一〇日くらいしたら給料を取りに来いと言った時点において柴田としては原告を本件そば店の店員として雇用し続けるつもりはなかったというべきであり、柴田が同月一七日に原告に一〇日間くらいの休業を命じることはおよそ考えられないこと、そして、前記第三の一1(一)ないし(三)で認定した原告の本件そば店における就労の状況も考え合わせれば、一〇日くらいしたら給料を取りに来いというのは原告を解雇するという趣旨であることは明らかであること、原告が柴田から一〇日くらいしたら給料を取りに来いと言われた次の日にはお伺書と題する書面(書証略)を作成して被告の郵便受けに投函しているが、お伺書と題する書面(書証略)の記載内容のほか同書面を作成して投函した理由について原告はその本人尋問において解雇されるという不安があったからと供述していることからすれば、原告は一〇日くらいしたら給料を取りに来いという柴田の発言を解雇の趣旨に受け取っていたと考えられ、このように原告も右の柴田の発言が原告を解雇するという趣旨であることは十分に理解していたというべきであること、以上を総合考慮すれば、本件そば店の店長である柴田は同月一七日原告を解雇したものと認められ、この認定に反する証拠(原告本人)は採用できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
そして、柴田が本件そば店の店長として新たに本件そば店の従業員として雇い入れられた者の採否の権限を被告代表者から与えられていたことは前記第三の一1(一)及び(五)のとおりであるから、被告は同月一七日原告を解雇したというべきである。
3 原告の休業手当、解雇手当及び付加金の請求(前記第二の三1(一)(1)ないし(3))は、いずれも被告が平成九年一〇月一七日に原告に対し休業を命じたことを前提としているところ、被告が右同日に原告に休業を命じたのではなく原告を解雇したことは右2で認定、説示したとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の休業手当、解雇予告手当及び付加金の請求は理由がない。
二 争点2(慰謝料の支払義務の有無)について
1(一) 原告は被告による賃金などの未払によって精神的苦痛を被ったことを理由に慰謝料を請求している。
(二)(1) 前記第二の二2、証拠(書証略、原告本人、被告代表者)及び弁論の全趣旨によれば、被告は原告に対し金六万六六六三円の賃金の支払義務を負っていたにもかかわらず、その支払日である平成九年一一月五日を過ぎても、賃金六万六六六三円を支払わなかったこと、しかし、被告は右の未払賃金六万六六六三円のうち金五万九九九四円については支払日から二週間後の同月一九日に原告に支払っていること、被告は原告が稼働した期間に対する賃金は金五万九九九四円であると考えていたが、これは一か月の賃金を金二〇万円としてこれを単純に三〇日で割って得られた一日当たりの金額に原告の稼働日数である九日を乗じて得られた金額であること、被告は本件訴訟において原告の一日当たりの賃金を原告の主張に係る計算方法によって計算することに異議がなく、原告の主張に係る計算方法によるとなお未払となる金六六六九円についてこれを速やかに支払う用意があることを明らかにしていることが認められ、この認定に反する証拠はない。
(2) 原告が被告の賃金などの未払によって何らかの精神的苦痛を被ったとしても、未払の賃金などが支払われればそのことによって原告の精神的苦痛も同時に治癒されるものと解され、したがって、特段の事情のない限り、賃金などの未払による慰謝料の請求はできないと解されるところ、被告に休業手当及び解雇予告手当の支払義務がないことは前記第三の一3で説示したとおりであるから、被告が休業手当及び解雇予告手当を支払わないことには理由があるというべきであること、未払賃金六万六六六三円のうち金五万九九九四円については支払日の二週間後には原告に支払われており、未払賃金六万六六六三円のうち六六六九円及びこれに対する遅延損害金については主文第一項において被告にその支払が命じられていること、金五万九九九四円に対する民法所定年五分の割合による遅延損害金(平成九年一一月六日から同月一九日までの分)は未払であるが、その額は金一一五円と僅少であること、未払賃金の全額及び未払による遅延損害金の大部分が支払われてもなお慰謝することができない精神的苦痛があることについて原告は何らの主張も立証もしていないことに照らせば、賃金などの未払によって原告が被った精神的苦痛が損害賠償の対象となるということはできない。
(3) したがって、被告の賃金などの未払による慰謝料請求は理由がない。
2(一) 原告は慰謝料の請求の理由として被告による賃金などの未払によって再就職が遅れたことも挙げており、このような原告の主張からすると、原告は被告による賃金などの未払の件を片付けてから再就職したいと考えていたところ、被告が未払賃金などの支払になかなか応じなかったため、再就職のための活動が遅れたことについて慰謝料を請求すると主張するもののようである。
(二) しかし、原告は平成九年一〇月一七日に被告を解雇されたことは十分理解していたのであるから、右同日以降再就職するのに何らの支障はなかったのであり、それにもかかわらず原告は賃金などの未払の件の処理を優先させて再就職のための活動を後回しにし、その結果未払賃金などの回収に手間取り、そのため再就職が遅れたというのであり、原告が未払賃金などの回収を優先させなければ再就職が遅れるという事態も十分避けられたわけである。したがって、原告が未払賃金などの回収を優先させたところ、被告が未払賃金などの支払に応じなかったため原告の再就職が遅れたという場合に、被告による未払賃金などの支払の遅延が原告に対する不法行為を構成することがありうるのは、被告が原告の再就職を遅らせようとの意図の下に殊更に未払賃金などの支払を遅延させた場合に限られると解するのが相当であるところ、本件全証拠に照らしても、被告が原告の再就職を遅らせようとの意図の下に殊更に未払賃金などの支払を遅延させたことを認めるに足りる証拠はない。
(三) したがって、その余の点について判断するまでもなく、被告が未払賃金などの支払になかなか応じなかったため原告の再就職のための活動が遅れたことについての慰謝料請求は理由がない。
3 以上によれば、原告の慰謝料の請求は理由がない。
第四結論
以上によれば、原告の本訴請求は金六六六九円及びこれに対する支払日の翌日の後であることが明らかな平成九年一二月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条ただし書を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木正紀)